歴史と芸術のまち

笠間市

地形が「すげ笠」に似ており 集落が「谷間」に開けたことから名付けられたと言われている「笠間」

城下町・門前町として栄えてきた笠間には 歴史を今に伝える名所・旧跡が数多く残っております。
佐白山頂には 全国でも数少ない山城、笠間城跡があり、街の中心部には 日本三大稲荷の一つ笠間稲荷神社があり 郊外には出雲大社常陸分社がある。

笠間出身の芸術家
日本画の木村武山やイコン画の山下りんなど

笠間市ゆかりの有名人
 坂本九氏 戦時中に笠間の親戚の家に疎開 少年時代を過ごす。
結婚式を 稲荷神社で挙げ その後市内をパレード。
その時のオープンカーは柏木さんのご好意により スポーツカーミュージアム日動に展示されています。
「別れの一本杉」の作詞家の 高野公男氏も 笠間市出身

そして 架空の人物でありますが 映画「座頭市」は笠間が出身地となっています。

笠間芸術の森公園

笠間焼 ちょっとだけ(;^^A

笠間稲荷神社

笠間城跡・佐白山

笠間つつじ公園

 陶炎祭 

 鳳台院 

つつじ公園 2007年

kasamamain.htm笠間神社の藤

その他の笠間ゆかりの人・史跡

大石良欽(よしかね)の邸跡

忠臣蔵で知られる大石内蔵助の祖父で笠間藩家老だった大石良欽(よしかね)の邸跡

浅野氏は赤穂転封の前は笠間の藩主で、赤穂へ移って57年後に浪士の討ち入り事件が起こります。
赤穂義士の中で、吉田忠左衛門、小野寺十内、堀弥兵衛は笠間藩時代に生まれ、大高・三村・勝田など何人かは笠間で仕官したといわれています。
浅野氏が笠間を領したのは、長重、長直(長矩の祖父)の2代で共に城下町の整備に努めました。
又長直は佐白山頂の藩庁まで藩士が往復する困苦を配慮して山麓(今、公園になっている)に下屋敷を造り、ここで政務を執られましたが、白壁の壮麗なものでしたので幕府から新城作りと誤解され、これが赤穂への国替えの一因ともいわれています。

合併

友部町

岩間町

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