2の鳥居まで車で走行
駐車所 トイレもあります。山の中にしては 綺麗にしてあります。
登山道70mは 登山口まで70m(;^^A | 登山口に後生車 |
まっすぐ奈々久良の滝へ向ったのですが 道順に紹介しますね | |
不動岩 最初に出会う石 盤上に不動明王の石像が祀られ、その足元をきれいな清水が流れ落ちています。 この石像は、明治になってから祀られたもので、石そのものはもともと黒前神社の祭神が浜降りの時、神輿の休み場所であったといわれています。 |
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烏帽子石 八幡太郎源義家が堅破山の神霊に参拝した時、かぶっていた烏帽子に似ていたことからこの名がついた。 |
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手形石 石いっぱいに右手5本の指の跡が深くえぐられているように見えます。八幡太郎源義家が石を押した時についた手形と言われいる。 |
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畳石 畳を積み重ねたように大きな石が4段に裂けるように割れている。 八幡太郎源義家が腰をおろして休んだので「腰掛け畳石」と呼ばれたことに由来している。 後に、堅破山で修行をしていた修験僧が座禅をした石とも言われている。 |
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水場・・・飲用できるのかなぁ? | |
昭和25年まで使われていた炭焼き釜 | いたるところに 手造りのベンチ |
標高5百メートルの高所に湧き出た水 | 仁王門 |
黒前神社本堂への石段 | |
土に半分埋まっているような舟型の石でその形が珍しい | |
元禄(1688年)以前は「堅破和光石」と呼ばれ、薬師如来が隠されている石として信仰され、正面に石をくりぬいたほこらがあり、その中に薬師如来の十二神将像(現在は6体)が祀られています。 水戸光圀翁が仏教色の強い「堅破和光石」を「甲石」に改名したと言われています。 |
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仁王門 上から | しばし 景色を |
晴れていれば 太平洋が・・・どうでしょうか? | |
永保3年(1083年)、八幡太郎源義家が奥州征伐の折、戦勝祈願のために堅破山に立ち寄り巨石の前で陣を引いて野宿していると、夢の中に黒坂命が現れ大太刀を差し出しました。目覚めた義家が自分の前に置かれた大太刀をひとふりすると巨石がまっぷたつに割れたと言われています。 以前は「磐屋(いわくら)」と言って、神の宿る石として信仰され、石の回りにしめ縄を張りめぐらし、みだりに石の上に上ることはできませんでした。 |
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元の名を「まいまい石」と言い、堅破山の神霊が浜降りの歳、折橋の氏子の人たちにこの場所で神輿を渡し、一休みのためにお神楽を奏し、神楽舞をしたとされ、石の名になりました。 |
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